森と海の街、Den Haagでのんびりライフ。美味しいもの、楽しいこと、いろいろ発見できるオランダ生活20年目。

オランダで宿屋さんやってます。

緑の街でB&Bとヒーリングサロンを営んでます。

アムステルダム奥の細道を歩く

さて、今日から4月1日。オランダではそこまで特別ではないですが、日本人にとってフレッシャーズの季節、新人でない人もこのノリに入り、今年の流れをよくしたいものです。
そして今日は政府より新元号が発表される日,新しい元号が楽しみです。平成は日本国内で戦争が起こらなかったことが素晴らしいことです。次ももちろんそうあってほしいし、世界平和に近づく努力もしていかねばですね。と熱く語ってしまいましたが、今日もまたアムステルダムのお話を書いていきます。

ここしばらく、習い事の関係でアムステルダムに週一で通っています。場所はヨルダンといわれる運河沿いの素敵な場所。細い道もあり、そこには素敵なカフェや雑貨やさんなどがあって、散歩が楽しく、時に道に迷うこともありますが、それもまた楽しく。

私はアムステルダムに居住しておりませんので、普通、居住者でないとアムスは道に迷いやすいことが多いようですが、私は一度歩いた道は忘れないタイプのようで、20年前から、いろいろなところを歩き回り、楽しい時を過ごすことができました。
それを思い出しながら、歩いていましたらば、これは自分だけの力で歩き回ったのではなく、友人たちがいろいろと道を教えてくれたので知っていることであり、自分だけでは知らなかったことが多いのです。

オランダに来た頃、1年ほどアムステルダムの会社にお勤めをしました。当時の同僚とはもう付き合いがないのですが、彼らこそが私をよく市内いろいろなところに連れまわしてくれたのでした。中でも一番年下だったSちゃんは中央駅近くから西側へと向かう方面に住んでいたこともあり、古い町並みをよく案内してくれました。
地元人の集まるカフェでお茶をしたり、少ないお給料の中でやりくりしながらも、小さな楽しみを持っていたわけですが、それもずっとは続きません。みな、転職したり日本に戻ったりして、同じところで勤めるということはもうありませんでしたし、数年後、Sちゃんは他界し、思い返せば、それから14年ほどが経ってしまっていることに気が付きました。

それに気が付いたのは、自然に、自分の足が西側に向かっていた時でした。ああ、ここを教えてくれたのはSちゃんだったなあ、生きていたら40歳くらいになっているのかな、もしまだオランダにいたら、お母さんとかになっていたのかな、もちろんわからないことだらけですが、そういったことを考えてしまうのです。

友情や人間関係はいつまでも続かないことが多い、というのは他の方でも経験しましたが、もうこの世にいないというのは、やはり寂しいことであり、年数がたっても、忘れることなく、思い出はそこにあるのです。

本人はアムステルダムを去りましたが、最後住んでいたアパートに私がプレゼントした陶器のボールがあるのではないかと思い、もしかしてどこかの中古屋に出ていないかと、アムスの古道具屋に入る時、いつかまた出会えるのではないかと期待をしてしまいます。


私が30歳になった時に、めずらしく誕生日会を開き、Sちゃんが準備を手伝ってくれてお料理などもやってくれたものですから、お礼にプレゼントした陶器のボールです。気に入って私も同じものを持っているのですが、今も割れずにキッチンに存在しています。あと一つはアムステルダムのどこか、にあると信じています。

道を知るというのは、それを案内してくれた人がいたということ。
友人に恵まれたことは幸せだったと思いますし、今日会えたからといって、次にまた会えるとは限らないということを学んだのもアムステルダムでした。